【不定期連載】シベリウスと伊福部昭の作風、そしてラウダ・コンチェルタータ 21
間髪いれず伊福部先生のお言葉です。 木部与巴仁さんの名著「伊福部昭の音楽史」からです。 「日本、日本とこだわっているわけではなく、自分の感性に正直に作曲したいのです。しかし血液が日本のものでできている以上、自己の感性に正直であれば、どうしても民族的になると思いますよ。 ~中略~ まだお前でないところのお前。これに向かって語りか……(続きを読む)
間髪いれず伊福部先生のお言葉です。 木部与巴仁さんの名著「伊福部昭の音楽史」からです。 「日本、日本とこだわっているわけではなく、自分の感性に正直に作曲したいのです。しかし血液が日本のものでできている以上、自己の感性に正直であれば、どうしても民族的になると思いますよ。 ~中略~ まだお前でないところのお前。これに向かって語りか……(続きを読む)
少し間が空いてしまったうちに、アイノラ交響楽団の次回演奏会へ向けた音出しが始まりました。 シベリウス生誕150周年の年、2015年に出版された神部智さんの著書「シベリウスの交響詩とその時代」の中にこれぞシベリウスと伊福部先生の共通項!と思われる記述を発見いたしましたのでご紹介いたします。ありがとう横浜市立図書館! 1896年1……(続きを読む)
ヴァイオリンとの関わり編。 伊福部先生はと申しますと… 伊福部昭綴るII-伊福部昭 論文・随筆集ー伊福部昭著、小林淳編からのエピソードです。 江口隆哉さんとの対談からの引用です。 [伊福部] まあ、学生時代、北大のオーケストラでやったりなんだりはしてましたけどね。 [江口] ははあ、そうですか。 [伊福部] で……(続きを読む)
8月も終わりですねえ。 さて年表作戦は少し横においておきまして、シベリウスと伊福部先生のもうひとつの共通点である、ヴァイオリンとのかかわりを少し。 共通点とは言いつつも、お二人の取り組み方は少し違ったようです。 まずはわれらがシベリウスから行きましょう。 H・I・ランピラの名著「シベリウスの生涯」の稲垣美晴さん翻訳からの引用で……(続きを読む)
今日は山本 勲に代わって、Webサイト&SNS周りの中の人(アイノラ交響楽団 トランペット奏者)がお送りします。 私のトランペットの先生は、元 東京フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者でした。 正確には、新星日本交響楽団のトランペット奏者で、楽団の合併により東京フィルハーモニー交響楽団へ移籍したカタチになっています。 ……(続きを読む)
先日、大学生に混ざり、安倍圭子さんにレッスンをつけていただきました。 もう何もかもが音楽そのものですね。 爪の垢の匂いくらいは頂いたと信じ、進んでまいります。 といった事で、本稿も少し視点を変えてみようと、シベリウスと伊福部先生の年表を並べてみました。 なんとそこにも大きな共通点があったのです! シベリウスは、1865年……(続きを読む)
頑なに唄える音楽を堅持したお二人の精神的共通項編その3 ラウダ執筆にまつわる伊福部先生のお言葉です。 「ラウダ・コンチェルタータ」の時は、これはもう、ちょこちょこやるだけでは駄目だというので、オーケストラのゆるやかな節と、マリムバのリズミックな音を拮抗させて創りました。この曲が初演されたときは、「リトミカ・オスティナータ」から二十年近……(続きを読む)
頑なに唄える音楽を堅持した、シベリウスと伊福部昭の「精神的共通項」編 伊福部先生のお言葉その3です。 「日本、日本とこだわっているわけではなく、自分の感性に正直に作曲したいのです。しかし血液が日本のものでできている以上、自己の感性に正直であれば、どうしても民族的になると思いますよ。~中略~ まだお前でないところのお前。これに向かっ……(続きを読む)
伊福部先生のお言葉です。日本の近代作曲作品について。 「ねらいが「憧れ」なんですね。憧れで集めてきた「根なし草」のようなものを寄せ集めたのが、今の日本の近代文化の根底を成しているものだと思う。自発的なものじゃなくて憧れ。高山へ行ってきて「この植物いいな」と採ってきて自宅の庭に植えるのと同じような。枯れるに決まってるんです。」(199……(続きを読む)
前回に引き続き、連載小説風記事 第2弾です。 上京後は東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の作曲課講師に就任。 1953年には名著「管弦楽法」を出版。 さらには日本が誇る特撮怪獣映画「ゴジラ」を含む数々の映画音楽や「シンフォニア・タプカーラ」、本日の「ラウダ・コンチェルタータ」などに代表される数々の絶対音楽の傑作を書かれました。 ま……(続きを読む)
お知らせ以外のオーケストラの日々の様子や、豆知識などをお伝えしていきます。