【不定期連載】シベリウスと伊福部昭の作風、そしてラウダ・コンチェルタータ 18
8月も終わりですねえ。
さて年表作戦は少し横においておきまして、シベリウスと伊福部先生のもうひとつの共通点である、ヴァイオリンとのかかわりを少し。
共通点とは言いつつも、お二人の取り組み方は少し違ったようです。
まずはわれらがシベリウスから行きましょう。
H・I・ランピラの名著「シベリウスの生涯」の稲垣美晴さん翻訳からの引用です。
十四歳でシベリウスは、軍楽隊の指揮者グスタフ.レヴァンデルの指導の下にヴァイオリンの勉強を始めた。
「私はヴァイオリンのとりこになった。それ以来の十年間でもっとも心から望んだこと、もっとも誇り高い目標は、偉大なるヴァイオリンのヴィルトゥオーゾになることだった」おそらくヤンネは、「偉大なるヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ」が実際何を意味するのか、よくわかっていなかったのではないか。後に、彼は一度ふざけてこう言っている。「人間だれしも人生の悲劇を抱えているものだ。私のは、なんとしてもヴァイオリンの大家になるべきことだった。」~中略~
一月九日ウイーンの王室オペラの舞台でウイーンフィルの試験を受けたことにもよる。~中略 ~シベリウスは一時間ほど弾くと、気分が悪くなり、口に「金属的な味」がのぼってきた。体全体が震えてきて、気を失いそうになった。グルーン教授の見解では、シベリウスの演奏は「決してまずくなかった」という。シベリウスはこんなに人前で緊張するのだから、ヴァイオリニストになろうなどと思うべきではなかったのである。グルーンはシベリウスに、作曲家はピアノを学んだ方が良いと忠告した。
なんて書いてあります。職業ヴァイオリニストを目指したんですねえ。でもあがり症であったと……そののち自作の指揮者として世界各地をまわったころには舞台に上がる前にはシャンパンを一本空けるようになったとのエピソードもございます。
さあて我々はどうしましょう……
山本 勲
(次回へ続く)
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