【不定期連載】シベリウスと伊福部昭の作風、そしてラウダ・コンチェルタータ 20

2017年09月17日

少し間が空いてしまったうちに、アイノラ交響楽団の次回演奏会へ向けた音出しが始まりました。

シベリウス生誕150周年の年、2015年に出版された神部智さんの著書「シベリウスの交響詩とその時代」の中にこれぞシベリウスと伊福部先生の共通項!と思われる記述を発見いたしましたのでご紹介いたします。ありがとう横浜市立図書館!

1896年11月25日にヘルシンキ大学で行われたシベリウスの講演の草講を分析されたものです。

「偉大なバッハの音楽において、機能和声は確固とした生命力を獲得することに成功した。~中略~バッハは自覚していたはずである。その勝利が彼のものでなく、本質的にドイツ民謡のものであるということを。」

ここで言うドイツ民謡というのは民俗音楽の象徴で、それは特定の作為を超えた人びとの営みが集約された音楽、人びとの記憶を象徴する音楽という意味だそうです。

「いわゆる興味を駆り立てるような音調や転調も、その源泉を民俗音楽のうちに見出すことができなければ、一時的な価値しか持ち得ないだろう」

「作曲家の個人様式と民族様式について考えてみたい。手短にいうならば、個人様式は作曲家が自分の作品に付与した刻印なのである。それに対して、民族様式は人びとがその作曲家に付与した刻印なのである。後者において民俗音楽が果たす本質的な役割を無視してはならない。私たちは、民俗音楽が芸術音楽の形成におよぼす深遠な影響に目を向けざるをえないのである。」

「民俗的な調べそれ自体は、芸術音楽に対して何ら直接の影響を与えるものではない。その意義は啓発的な特性にある。自国の民俗音楽を熟知している作曲家は、結果的に物事を異なる視点でとらえ、まったく新しい要素を強調し、他者とは違う方法で芸術を完成させるのだ。そこに作曲家の独自性を見出すことができる。だが作品の創作、とりわけ表現手法に関してはローカルなものに束縛されてはならない。どの程度それを達成できるかは、作曲家のパーソナリティによるだろう。」

作曲家は、無数の人びとの共通記憶としての民俗音楽を体に入れて、自身のパーソナリティによって普遍的な芸術を生み出さすことができるというのですね。
なんて伊福部先生のお言葉に近いお話しでしょうか!
調性音楽崩壊の時代に頑なに自身の書法を守り続けたおふたりの本質的な音楽感を感じますね。

いやーそれにしてもシベリウス研究は進んでいますね~。感服いたしました。
ちなみにこの本はシベリウスの6つの交響詩を通してたくさんのデータからシベリウスの人間性を語っている素晴らしい本でした。
アイノラ交響楽団のメンバーは必読ですぞ~。

山本 勲
(次回へ続く)



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