【不定期連載】シベリウスと伊福部昭の作風、そしてラウダ・コンチェルタータ 21

2017年09月19日

間髪いれず伊福部先生のお言葉です。

木部与巴仁さんの名著「伊福部昭の音楽史」からです。

「日本、日本とこだわっているわけではなく、自分の感性に正直に作曲したいのです。しかし血液が日本のものでできている以上、自己の感性に正直であれば、どうしても民族的になると思いますよ。 ~中略~ まだお前でないところのお前。これに向かって語りかけること。そこに芸術の行く先があるはずです。ですから、音楽でもってわれわれの中にあるものを全部ぶつけていけば、日本人にも外国人にも訴えかけられる、そういう曲がかけるばずだと思っています。」 (第15回でも記載)

「芸術臭は努めて消したいと、いつも思っています。だから芸術愛好家という人たちからは嫌われますね。土臭いものは芸術と関係ないという教育をされた人たちには、あいつは思想的でない、ただ音をもてあそんでいるだけだと映るらしいです。」

ああ、いかがですか?自己の感性に正直であれば、どうしても民族的になる。
そして、われわれの中にあるものを全部ぶつけていけば、日本人にも外国人にも訴えかけられる、そういう曲が書けるはず……
無数の人びとの、共通記憶としての民俗音楽を血肉にして、普遍的な芸術を生み出したい、ということではないでしょうか!

なんという共通ポリシー!

山本 勲
(次回へ続く)

伊福部昭の音楽史 [ 木部与巴仁 ]

価格:3,780円
(2017/9/19 13:57時点)
感想(0件)



▼コメントをどうぞ

不正なコメント投稿を防止するため、お寄せいただいたコメントは管理者に送られ内容を確認させていただいた後に表示されます。
誠に恐れ入りますが、コメントの表示までしばらくお待ちください。


△ページの先頭へ