【不定期連載】シベリウスと伊福部昭の作風、そしてラウダ・コンチェルタータ 14

2017年07月31日

伊福部先生のお言葉です。日本の近代作曲作品について。

「ねらいが「憧れ」なんですね。憧れで集めてきた「根なし草」のようなものを寄せ集めたのが、今の日本の近代文化の根底を成しているものだと思う。自発的なものじゃなくて憧れ。高山へ行ってきて「この植物いいな」と採ってきて自宅の庭に植えるのと同じような。枯れるに決まってるんです。」(1994年新交響楽団第145回演奏会プログラムより)

「ええ、ソナタというのは ~中略~ ウィーンでベートーヴェンなどの確立したソナタがありますね。~中略~彼は長い旋律を書くことがあまり得手でなかったので、モチーフをちぎってつないでいく、ああいう手法を創案したのだと思います。ひとつの素材で訴えていくにはまことに良くできた形ではありますが、とにかく再現部が出てくるんで、私ははじめ嫌っていたわけです。」(伊福部昭の音楽史)

「私たち東洋人、殊に日本人の伝統的な造形観は、何かこの左右対称のシンメトリーという観念を、計算され過ぎたもの、いわば美から遠いものとして受け取ってきたのです。」(伊福部昭 音楽入門)

オチはありません。もう少し続きます…

山本 勲
(次回へ続く)



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